日本初のホスピス。私のベースになったもの。
ナースプラクティショナーの事を書いたことから、このブログに来て下さる方が多くいるので、私の看護師としての、医療や看護、命に対する向き合い方、、のベースになったことを、今日は少し書いてみたいと思います。
まずは、このベースがあるから、そしてそれがぶれていないから、以降の葛藤や、暗雲を感じた部分や色んな違いに苦しみ、人の命に関わる従事者、法律や行政の取り組み方、、時代がどう進み、変貌しようと、変わらない変わってはならないスタンス、有り様というものがあるのではないか、、、。
私の気持ちを記す上で、その大元を記す事が、大事だと思うからです。
私が学んだ学校は、長谷川保先生が開拓なさった、聖隷事業団、今のクリストファー大学の前身時代の、聖隷短大です。
当時は看護大学は少なく、関西出身の私は、関東の大学より、聖隷の精神に魅了され入学しました。
長谷川保先生や、ホスピスの初代所長の腹義雄先生、千原明先生を始め、日本の医療を開いてこられた先生方から直接ご指導頂いた教えは、人の命に関わる者としての、基本的なあり方として、ストレートに入ってくるものでした。
長谷川保先生、原義雄先生、千原明先生のお働きは、私が記すより調べて下されば、よりわかりやすいと思います。
学生時代から、ホスピスに出入りさせて頂き、ボランティアとして、患者さんと接する機会を頂けたこと、医療チームとしての働きや、日本で初めてのホスピスということで、日本中から志ある方々が、絶えずボランティアとして、入れ替わり立ち替わり、学びながらいらっしゃり、その輪の中に入れて頂き、現場を体験できたこと、本当に、宝です。
原先生、千原先生の患者さんご家族に対する医者としての姿は決して忘れることはできません。
長谷川先生は勿論ですが、
原先生、千原明先生の、揺るぎない信条は徹底して、社会的弱者の側につく。
貧困、精神疾患、障害などで差別されている人々を手厚く迎えもし、病んでいる患者さんご家族、死を目前にした人々のベッドサイドに座り話しを聞き、医療を提供するお医者様、、という高慢さはなく、一人の人間として、向き合う、、
その講義を受けれたことは、今振り返っても、本当に幸いだったと思うのです。
富や名声や権力よりも、医者だぜーと偉そぶることは決してない、むしろ、そんなお高くとまることを、毛嫌いされていたのでは、と思います。
そういう命に携わる者として、、、素晴らしい模範を、私は学生時代に既に目の当たりにし、学べていたのです。
そして、卒業後はその総合病院に勤め、病院の理念がキリスト教の隣人愛をうたっているので、今看護師としとの歩みを振り返っても、初めにとても質の高い医療と看護の現場で、スタートできたことが、私のベースに強くあり、その後、病院や携わる現場が変わっても、今もなお生き続けているのだと思います。
聖隷病院で働き、体験できた、チームでの医療、忘れることのできない患者さんを中心に、心血注いで、人間としても自分も揉まれながら、心に刻み込まれた、命を中心に、繰り広げられた一つ一つのケース。
私の気持ちを語る上で、良かったと思える患者さんご家族との関係や、医療看護としてできたケア、、そのような大切なことも、書いていきたいと思います。
その上で、悲しい現実、妥協すべきではないのでは?と、考えていることを、記していければ、私が何故、このようなことを書くのか、、より深く理解して頂けるのでは、と思うからです。
今日は、そのさわりだけになりましたが、一回に書ける記事も少ないかも知れませんが、これからも続けて書いていきます。
読んでくださり、ありがとうございました。