22日追記更新。看護師の私が厚生労働省に電話した!ナースプラクティショナーの件で!24日新記事書きました。
私は看護師として20年以上現場で命と向き合ってきました。
ミッション系の看護大学卒業後、グループの総合病院に勤めました。
日本で始めてホスピスができた病院です。
始めはICU今でいうER、ホスピス、癌専門外科病棟、外来、総合内科病棟、訪問、透析、、、
一応、自分が飛び込みたい現場は体験でき、最前線の医療、その現場現場での実情を身をもって経験できたことは、財産です。
何よりも、出逢った患者さんとご家族、共に闘病し、考え、受け止め、悩み、命の最期をも共にさせて頂けたことは、一人一人忘れられない大切なこととして、今も心に生き続けています。
でも、葛藤も多く、矛盾も感じること多々あり、おかしいじゃないか!と、命に関わることだからこそ、国の打ち出している対策と方向と、現場のギャップを、嫌という程、見てきました。
またブラック病院も多いのも実情です。
ハッキリいいます。
白い巨塔は立派に健在です!
医療絡みのお話しは、多岐に渡るので、今回は、何故、厚生労働省に直に電話をすることになったのか、、ということに絞って、書いていきます。
看護師といっても、日本には准看護師と正看護師と資格が二つあります。
正看護師は、専門の学校、短大や大学を卒業し、国家試験に合格して厚生労働大臣が資格の発行をします。
私は後者ですが、実情現場では、お給料や待遇の差があるものの経験と共に同じ看護医療を行っています。
決して免許の差だけでなく、ひと言看護師と言っても、非常にレベル差が幅広い仕事です。
これは経験だけではなく、人としての資質やスキル、、そういう意味では医者も同じでしょう、、ということが大きいと感じます。
絶えず学びながら、自分で考え、解剖生理、病態、、など症例を経験することで、医者と対等にディスカッションできる看護師もいます。
時には、医者よりも、患者さんとご家族と話し合い、深く関わることのできる看護師だからこそ、治療方針や、こと、ターミナル、終末期には、激しいカンファレンスになることもあります。
何より人間力が試されるのが、そういう現場です。
コミュニケーション力、信頼関係を構築し、人間と人間として、向き合えるか、、
そういうところが、患者さんとご家族には、薬より処置よりも、必要なことになってくるからです。
でも、こういうレベルの差が評価される訳ではありません。
人によっては、地位や名誉のため、管理職になるために、事なかれ主義で、出世を狙う人もいます。
私は、出る杭は打たれるタイプで、医者とも喧嘩になったこともありますし、ドクターを泣かせてしまったこともあります。
部長に、お前ぇ、泣かすなよ~、、と肩を組んで言われましたが、医者の教育は医者でやって、、と、でも認めて任せて下さる先生もいました。
でも、患者さんの命のために、戦っても、それが反映されないのです。
評価してくれる人はいても、同じ看護師として、同じ、、
つまり、決められた業務をこなしてるだけでも、医者とカンファレンスできるレベルでも
待遇は変わらない、、それは仕方ないことでもあります。
看護師の職責役割は、医者の指示のもと医療行為を行う、、、というのが仕事ですから。
そういう意味では、それ以外の見えない分野のことをしているわけですから。
でも、この見えない分野こそ、命に寄り添い、病気と共に生きる患者さん、死にゆく患者さんと、ご家族、またひいては亡くなった後のことも考えて、何が一番、この方の場合は最善か、、、
考え話し合い、ドクターとも話し合い、治療方針も考える、、、
薬剤師や色んな職種の方を交えて包括的なケアを、、そのコーディネートのような役割が必要で、それが看護師にしかできない、と私は思っています。
しかし、今の日本にはそのような職種はないのです。頑張って現場でその役割を担っても、自分の人生もあり、、、
自分の人生のことも考えると、激しく消耗する割には地位も報酬も少ない、拘束時間はは長い、、、看護の現場から、去って行く人も多いです。
かくいう私も、現在は、現場を離れて、違う視点から医療や社会を見つめています。
大事な人材ほど、現場にいれなくなる、矛盾があります。私の友達も、優秀なのに働いていない友達は沢山います。
アメリカにはナースプラクティショナーという上級の看護師、臨床医と看護師の中間に位置ずけられる職種があります。
日本の医療は、海外の先進国より10年20年遅れているとはよく言われますが、全くもってその通りです。
ナースプラクティショナーについてはググって下されば出て来ます。
私はこの制度を日本にそのまま導入するべきとは、思っていません。無理です。
アメリカとは、保険制度なども含め背景が違いますし、そんなアメリカの社会から独自にニーズに対応すべくできた職種だと思うからです。
日本では専門看護師、認定看護師という制度はあります。
各分野のエキスパートということです。
これは日本看護協会に入会している看護師しか取得できません。
因みに、看護連盟という政治組織もあります。
その受講料などは高額で、仕事しながら、学び資格を取るのは狭き門です。
また会費が必要になります。年会費5000円、その他都道府県の協会にも会費を払わなければいけません。
なんか、おかしくないですか?
なんでそんなにお金を払わないといけないのでしょう?
看護師全てが日本看護協会に入会している訳ではありません。でも、大きな総合病院では義務づけられていることが多いです。
認定看護師などのスキルに不可欠だからです。
でも、認定看護師とらない人にとっては、なんのメリットもない、これが実情で、看護会の白い巨塔は、こんな団体にまずあるのかも知れません。
昔から言われていることの一つには、看護の質とレベルを向上させるべく、看護師の一本化、つまり准看護師をなくして、国家資格をもった正看護師に揃えましょう、、
という動きはありましたが、ことごとく、それに反対をし続けているのが、日本医師会です。
その本音は、安い給料でドクターの指示通りに処置だけしてくれる人材、お手伝いさんを失いたくない、というところでしょう。
ここにも白い巨塔が、ドーンとあります。
日本医師会の立場は、問題の本質は医師不足であり、医療の安全や質の点から、ナースプラクティショナーの導入には反対してます。
でも、厚生労働省は2010年今後の医療を鑑み、看護師の役割拡大も含めて2015年から特定行為に関わる看護師の研修制度を開始しました。
でも、ナースプラクティショナーとは異なると名義されています。
診療看護師という名前で始まっています。
しかも、その方法は大学院博士課程での養成教育で、なんとも大変な道のり、、、。
ミニドクターを作っても意味がないのでは?というのが、私の見解です。
ここまでの説明が長くなりましたが、、、
そういう、モヤモヤしていた思いを、直接、厚生労働省に電話で問い合わせた訳です。
これからの日本、そんなたいそうな資格からやって間に合うのか?
家庭と両立できるような命の現場こそ、働き方改革が必要で、潰れないで、腐らないでイキイキと、能力を発揮してニーズに応えれる方法を、、
日本独自のナースプラクティショナーの論議はどこまで進んでいるのか?
担当の方と色々思いの丈をお話しさせて頂きました。
実情、進んでいないことも、認めてらっしゃって、貴重なご意見ありがとうございます。
と、お話しは終えましたが、、、
白い巨塔の大元かも知れないと思っていた、厚生労働省と、直接話すことになるとは、思ってもみなかった展開でした。
これからの、私に何ができるのか?
今までの体験を含め、絶えず色々考えていますし、これからも書いていきたいと思います。
読んでくださりありがとうございました。
読んでくださっている皆様へ。
2月22日、追加して書きます。
リツートして下さった方がいらっしゃったお陰で、この記事を沢山の方に読んでいただき、嬉しいです。
一度に書き切れることは限られています。
また、私はブログやTwitterなどに慣れておらず、苦手です。
それでも、書きたい、と思って、ブログも始めました。
あくまでも、私の実体験からの考察ではありますが、多くの方に知って欲しい、医療者だけでなく、患者さんにも、普通に病気でなく過ごしている方にも、、
それは、いつ、何どき、自分にも降りかかるか、わからないことだからです。
命よりも重いものって、一体なんなの?この問いは、ずっと私の中にある叫びです。
私自身、病気して、入院したことがあります。
看護師であり、患者でもあった訳です。
幸せで、満足のいく医療を受けれたのか?
それは、残念ながら、そうとは言えない部分も、あります。
もちろん、全否定ではないです。
そして、看護師として、働いている中でも、なんか闇?を感じることも多く、自分なりに色々と調べてきました。
そして、私には、最愛の妹がいます、正確には、いました。
しかし、長い闘病生活の末、三年前に、他界しました。
その闘病に、一生懸命、ナースとして、主治医やスタッフとも、私がナースであることを踏まえ、なんども話し合いを重ねてきましたが、、、
最後は、無残な、最期でした。
大きな町の市立大学病院です。
治療や検査の段階でも、私が、入っていって、処置をしなければならなかったこともありました。
研修医しかいず、私が指示を出して、難を逃れました。
細かくはここでは書きません。
妹の死後、堪えきれず、その医大病院を訴えようか、とも思い、弁護士とも話しましたが、今はそちらには進んではおりません。
どうせ、無理でしょうしね。
私自身、看護師であり、患者であり、患者の家族であります。
最愛の人の命に関わること、、その最後のこと、、、
こんなに悔しく、後悔しても仕切れない、、、そんな最愛の人を失った後にまで、
こんなに重く苦しい十字架を、家族に、背負わせていいのか?
と、強い思いがあります。
肩書きや資格や机上の論議だけで、色んなことが進んでいることに、違和感を持っています。一番大切なのは、人間と人間が向き合い、真摯に、命と向き合い続けることを諦めないことではないでしょうか。
そして、それを一番大切にすることが普通になれば、、、
医療訴訟なども、もっと少なくなるのではないでしょうか。
私のような思いをしているから、訴訟になる訳ですから。
だから、私の気持ちを書こうと思いました。
いつだったか、医師が、MRI?CT?の画像を見て、自分の分野の科ではなかったから、、、と、癌を発見できなくて、その患者さんが亡くなり、問題になりました。
その後、医師会?厚生労働省?が出した方向は、今後、画像診断専門医を育成するということでした。
そんなバカな、、、と、私は思いました。
2年前?でしたか、コロンビア大学では、25年先にはAIによって、単純労働は激変するだろうと、発表されました。
医療の分野にも、AIを導入して、専門医を育成するより、人工知能に任せた方が、よっぽど、診断も間違いないでしょう。
そういうような情報がありながら、医大の不正なども含め、、
利権を握りしめて離したくない、人の命よりも、そっちの方を大事に、しているようなお偉いさんが、上の方では団結しているように、率直に、穿った見方をしています。
あくまで、私の考察ですが、、、
そんな、実際の事例なども、追って書いていけば、小さな、私にも、何かができるかも知れない、、、、そう思っている次第です。
ですから、これからも、書いていきたいと思います。
時々、見にきてくださったら、幸いです。
NPを目指して、頑張っていらっしゃる現役の方にも、私の言葉が届いたら、嬉しいです。
今日は、このくらいにしますね。